日々の遺書

雑多なことを徒然と。

精神的成長あるいは退化

 先日、母親と親族の会話で次のようなことを言われた。

「弟が結婚したのだからあとはあんたもいい人と結婚できるといいね」

 細かいニュアンスは覚えていないが、とにかく結婚をしてほしいということだった。

 私は「アハハハ…」と、わらって誤魔化した。というか、とっさにそれ以外の空気を壊さない返事を思いつかなかった。何を言っていいのか(というか、言いたいことはあるがそれが本当にその場に適しているかが)わからない時、私は笑ってごまかすことを覚えていた。あまりに乾いた笑いに、母親はこいつ結婚する気ねーなと感じ取ったかもしれないが、まあ別にいい。

 てっきり傷ついて死にたくなるかと思ったが、不思議と何も感じなかった。むしろ、やはり母親も私に結婚を期待していて、私はその期待を裏切ることができると、愉快に感じた。そして、結婚する気のない娘の結婚を死ぬまで期待して生きるのかと軽蔑する笑いでもあった。

 数年前の私なら、プレッシャーに感じたかもしれないし、期待に答えられない自分を情けなく思い、自殺を考えていたかもしれない。

 しかし、今は違う。

 弟が結婚したおかげでむしろじゃあ私は結婚しなくてもいいやと重圧が消えた気がした。それ故に結婚式は心から祝えた。

 なぜなら、親の期待に答えられない自分以前に、世界に対応できない自分に絶望していたからだ。今更、結婚できるなどという自分に対する期待ごとき残っているはずがない。

 

 また、私が結婚を厭う理由は、親にもある。もちろん100%親のせいではない。

 私がデブでブサイクで陰気で人嫌いなのは、すべてが親のせいではない。

 しかし、それなら私を産まなければ、失敗作は生まれなかった。これが第一に結婚できない駄目女が生まれた理由だ。

 また、自分がブサイクだと実感していなかった(もしくは直視しようとしていなかった)ころから、私は結婚というものに憧れなど欠片も抱いていなかった。結婚などしたくないとまで思っていた。

 大嫌いな父親のご機嫌をとって大嫌いな祖母(母にとっての姑)に顎で使われる母を見てきたからだ。

 一応言っておくと、父親は暴力を振るったりギャンブル狂いだったり生活費を入れなかったりといった、一般的なクソ亭主ではなかった。祖母もそうだ。(表向きには)嫁姑戦争などはなかった。祖母に関しては、昔の人に特有の、若干男尊女卑的な考えに染まってはいたが。しかし、私にとっては合わない男だった。私なんかよりもひどい父を持つ人なんて星の数ほどいるだろうし、その人達から見ると私の苦痛なんて屁のようなものだろう。しかし、私にとっては唯一の父親であり、大嫌いな同居人であり、こいつの遺伝子が体にあると考えるだけでおぞましく自殺する理由になるものだった。

 そんなクソオヤジと結婚し、毎日クソオヤジの面倒を見ているのが間近にいる「結婚」のサンプルだった。「結婚というものは、家族というものに気を使い続けること」だと学んだ私が全く憧れなかったのも無理のない話ではないだろうか。

 また、考え方が前時代的な祖母は私に「結婚式を見せて」「孫の顔を見せて」「女の子なんだからお手伝いしなさい」と言ってくる。これも、幼い頃から大変なプレッシャーだった。まあ今は人間が嫌いだから無理ですねとすべてを諦めているが。

 私に結婚を否定させるような父親と、それの母親である祖母を選んだのは母親なのだ。

 その元凶が、「結婚できたらいいね」と言ってくる。笑えるのも仕方がない。

 ここまで考えたのも、自分のことを考え続けてきた結果だと考えれば、人間強度が上がったとも言える。

 もしくは、ただ単に開き直っただけかもしれない。