日々の遺書

雑多なことを徒然と。

折り紙の話

 私は折り紙が苦手だし、嫌いだ。未だに鶴も折ることができない。練習しようとも思わない。
 嫌いになった理由は、幼稚園まで遡る。
 折り紙の時間、幼稚園の先生は言った。
「折り紙を折るときは、角と角を合わせましょう」
と。
 しかし、私は角を上手く合わせることができなかった。何度やり直しても、どんなに丁寧に折っても、微妙に角と角がずれてしまう。
 何度もやり直しているうちに、周囲の子供よりも遅れてしまい、先生の説明も聞けなくなる。次に何をやっていいのかわからない。結局半泣きで先生に教えてもらいながら、何度もやり直してシワのできた折り紙を完成させるという体たらくであった。
 こんな思いをしてばかりの時間が楽しいはずもなく、成長しても自分から折り紙に手を出すことはなく、苦手意識だけが醸成されて今に至るというわけだ。

 今考えれば、数mm程度の些細なズレなど気にせず折っていても、完成しないということはなかっただろう(多少不格好にはなっただろうが)。また、あの時の自分は他の幼児は全員角と角を完璧に合わせることができていると信じ込んでいて(何しろ、先生が「角と角を合わせろ」と言ったのだ)、自分だけが上手くできていないと思い、躍起になって合わせようとしていたのだが、幼稚園児のこと、角がずれているが気にせずさっさと進んでいた子供もいたに違いない。
 しかし、あの子との私は自分よりも早く、次の過程に進んでいる同級生を見て、他の子は自分と違って完全に角を合わせられているに違いない、皆は上手くできているのになぜ私は上手くできないのだろうと思っていて、私には折り紙は向いてないのだと思い込み、そのまま折り紙が嫌いになった。
 三つ子の魂百までという。
 私のこの、他人は自分よりできていると思い込み、他人が気にしないことを気にして出来もしない完璧を目指し、結果できない自分に劣等感を感じて苦手意識を抱く傾向は、人生に対しても同じなんだろうと思った。
 私はこれからも「他人はもっと人生をうまくやっている」と思い込み、人生に苦手意識を抱いて生きていくのだろう。