日々の遺書

雑多なことを徒然と。

風邪の話

 小学生の頃、風邪が長引いたことがあった。
 最も辛い時期は2~3日で終わったと思う。

 後の何日かは、物凄く辛いわけではなかったし、熱も平熱だったが、何となく頭が熱っぽく、何となく頭痛がして、何となく体がだるかった。私は、少なくとも、「正常」ではないと感じていた。
 だから、毎朝、「まだ治っていない」と母に告げ、学校を休んでいた。
 どれくらい風邪を引いていたのかはわからない。
 一週間かもしれないし、二週間だったのかもしれない。
 ある日、母は「まだ治らないの? サボりじゃないの?」と言った。怒っていたのか、笑っていたのかは覚えていない。疑いの意は含んでいたように思うが、それは私の勘違いかもしれない。
 母の言葉は、衝撃的だった。
 自分は嘘をついているつもりはなかった。
 確かに学校に行けないほど辛いというわけではなかったが、正常ではないと思ったためまだ風邪を引いていると判断し、治っていないと言ったのだ。
 母が、どういうつもりで言ったのかは未だにわからない。
 確かに昔から私は学校が嫌いで、行きたくないと散々言っていた。
 しかし、仮病を使って休むということは無かった。
 そこまで頭が回っていなかったのかもしれないし、小心者だったからバレたら困ると思っていたのかもしれない。
 とにかく、今まで嘘をついて休むという事をしていなかったのに、風邪が長引いたというだけで仮病を疑われたのだ。
 しかし、少しだけ頭が痛くて、熱っぽいこの状況を風邪だと思っているのはあくまで私だけだ。
 私は医者ではないのだから、私が風邪だと思っているだけで、医者が診断したら私は「健康」なのかもしれないとも思った。
 私は自分は熱っぽく感じていて、辛いと感じているが、それはあくまで私の感覚であり、他人に言わせればそんなものは風邪ではない、単なる根性なしの弱音なのかもしれない。
 他人の「風邪」と、私の「風邪」の感覚は違うし、そしてそれは体感できない。私が感じている熱っぽさを母に体感してもらうことなどできないし、それを風邪か風邪でないかと判断するのは人それぞれだろう。
 もしも、私が感じるだるさ、熱っぽさを母が体感したとしても、母はこんなもの風邪ではないと言うかもしれないのだ。
 だから、私は風邪と感じたという私の感覚は、他人にとっては無意味なのだ。
 他人は、実際の体温や顔の赤さ、休んでいる日数など客観的指標で判断するしかできない。
 私は、私の感覚が信用できなくなった。
 翌日、私はまだ熱っぽいと感じてはいたが「治った」と言って学校に行った。
 熱っぽさはしばらく続いたが、学校に行き続けて、やがて治った。
 以降、私は風邪で休むのは3日以内にしようと思った。
 世の中、少なくとも母の中では、大事なのは私の辛さではなく、休む日数なのだろうと感じた。
 自分の感覚が信用できなくなり、母の言動も信用できなくなった。

 今だに、私は風邪を引いて有給を取る時は、自分の辛さではなく日数で判断している。